東村山停車場の碑

明治27年、川越と甲武鉄道の国分寺を結ぶ川越鉄道が着工し、東村山に工事用の仮設駅がつくられました。翌28年全線が開通し、仮設駅は撤去されることとなりましたが、これからは鉄道が必要と考えた住民の運動で東村山停車場がつくられました。東村山の発展のもととして記念した石碑です。(東村山市ホームページより)

千体地蔵堂

境内の地蔵堂は都内の貴重な国宝建造物です。鎌倉の円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん)とともに禅宗様建築の代表的遺構で、昭和9年の改修の際に発見された墨書銘(ぼくしょめい)によると、室町時代の1407年(応永14年)建立とされています。堂内には江戸時代の地蔵信仰により、多くの小地蔵尊像が奉納されています。(東村山市ホームページより)

東村山 北山公園

狭山丘陵を背景にした自然公園で、新東京百景に選ばれています。豊かな水と緑に囲まれ、春には桜、初夏には200種類8,000株(10万本)の花菖蒲が咲き乱れ、秋には曼珠沙華が見られます。また、園内には多くの野草が自生しており、池やその周辺には多くの野鳥が集まり、羽を休める姿を見ることもできます。(東村山市ホームページより)

都立八国山緑地公園

標高89.4メートルの狭山丘陵の東端にある山です。その頂きから、上野(かみつけ)・ 下野(しもつけ)・ 常陸(ひたち)・ 安房(あわ)・相模(さがみ)・駿河(するが)・ 信濃(しなの)・ 甲斐(かい) の八国が見渡せることから、その名が付いたとされています。新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉討伐や武蔵野合戦などが行なわれた場所で、山のふもとには久米川古戦場碑があり、山頂には将軍塚が残されてます。(東村山市ホームページより)

狭山公園

多摩湖に隣接した都立公園です。公園はプラタナスやマツ、サクラなどが繁り、花見シーズンは、公園を中心に大勢の見物客でにぎわいます。マラソンや初日の出のポイントでもあります。(東村山市ホームページより)

東村山中央公園

広大な旧通産省機械試験場の跡地が生まれ変わり公園になりました。多目的広場、バードサンクチュアリ、ゲートボール場、せせらぎの滝などがあり、四季を通して市民の憩いの場になっています。また、毎年4月の「春のみどりの祭典」をはじめとした市の催し物や、各種団体の催し物会場としても利用されています。(東村山市ホームページより)

八坂神社 本殿

府中街道に面し武蔵野天皇と呼ばれるこの神社はスサノオノミコト(牛頭天王)を祀っています。7月14日、15日が例大祭です。神輿や山車・大太鼓が街道をねり歩く近隣でも有名な祭りです。正福寺の境内に神輿の格納庫の仮宮があり、神仏混淆(しんぶつこんこう) の名残を感じさせます。(東村山市ホームページより)

萩山四季の森公園

萩山町はかつてその大部分が雑木林で、秋になると萩の花が咲き乱れたといわれています。現在は、松林に囲まれた閑静な住宅街で、お年寄りの集う憩いの場にもなっています。(東村山市ホームページより)

小平霊園 正門

緑豊かな小平霊園は、東村山市と小平市にまたがっており、広さ65.3ヘクタール、昭和23年5月に開園しました。園内には、黒目川の水源となった湧水池などもあり、 昔ながらの雑木林は様々な植物の宝庫であり、野鳥も多く、いまでは多くの人々の静かな憩いの場所となっています。(東村山市ホームページより)

恩多野火止水車苑

江戸時代、玉川上水の分水を利用した水車は各地に設けられ、市内では大岱村(おんたむら)に野火止用水を利用した水車が設けられました。水車は小麦等の穀物を製粉し商品価値を高め、製品は江戸に送り出されました。現在の水車苑はこうした歴史を現在に伝えるために平成3年に復元されました。(東村山市ホームページより)

万年橋のケヤキ

野火止用水にケヤキが勢いよく根を延ばして、橋のように流れをまたいでいるので、俗に「万年橋のケヤキ」といいます。昔はケヤキの根を実際に橋として利用していました。 昭和44年に市の天然記念物に指定されています。また、昭和49年には、市の木として「ケヤキ」が制定されています。(東村山市ホームページより)

よみがえる 水のきらめき

野球場(トラック競技場と兼用)、テニス場、プールがある総合スポーツグランドであり、昭和59年、恩多町に開園されました。公園のシンボルとして、蒸気機関車のD51がプールのわきに設置されています。秋になると13町対抗の市民大運動会が開かれ、多くの市民が集まります。(東村山市ホームページより)

EVE

東京都養育院(現:東京都多摩北部医療センター等敷地)<br>クヌギ、ナラ、松などが青々と覆っている自然に恵まれた環境の中に東京都多摩北部医療センター、東京都東村山老人ホームなどの病院・療養施設があります。(東村山市ホームページより)

国立療養所多磨全生園

多磨全生園は明治末期、ハンセン病の療養施設としてつくられました。当時は、ハンセン病の治療は難しいといわれていましたが、戦後開発された薬により完治するようになりました。園内には、豊かな緑や歴史的建造物、史跡等が数多く残されており、国立ハンセン病資料館などを中心に年間3万人以上が訪れています。広大な緑の敷地は桜の名所でもあり、多くの市民に親しまれています。(東村山市ホームページより)

国立ハンセン病資料館

多磨全生園は明治末期、ハンセン病の療養施設としてつくられました。当時は、ハンセン病の治療は難しいといわれていましたが、戦後開発された薬により完治するようになりました。園内には、豊かな緑や歴史的建造物、史跡等が数多く残されており、国立ハンセン病資料館などを中心に年間3万人以上が訪れています。広大な緑の敷地は桜の名所でもあり、多くの市民に親しまれています。(東村山市ホームページより)

梅岩寺

1651年(慶安4年)阿山呑碩和尚(あさんどんせきおしょう)によって開山されたといわれています。樹齢700年になるケヤキ、樹齢600年になるカヤが山門の左右にあります。市内で最も古い庚申塔や、四国霊場巡りと同じ功徳が得られるという新四国石仏など文化財も多くあります。(東村山市ホームページより)

福寿山徳蔵寺

臨済宗大徳寺派(りんざいしゅうだいとくじは)で、1616年(元和2年)に璧英禅師(へきえいぜんじ)による中興開山(ちゅうこうかいざん)と伝えています。国の重要文化財である元弘(げんこう)の板碑(いたび)をはじめとして多数の板碑や多くの考古・民俗資料を収集し「ちらかし寺」と呼ばれました。「徳蔵寺板碑保存館」を設立し、それらの貴重な資料を公開しています。(東村山市ホームページより)

久米川古戦場跡

久米川の戦い(くめがわのたたかい)は、鎌倉時代後期の元弘3年(1333年)5月12日に、武蔵国久米川(現在の東京都東村山市諏訪町)において、桜田貞国率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である。(ウィキペディアより引用)

諏訪神社

諏訪神社とまつり囃子(ばやし) 化成小学校の隣にあり、御祭神はタテミナカタノミコト(建御名方命)です。まつり囃子は、神社の祭礼などの時に、太鼓、笛、鉦(鐘)、舞などによってはやす 民俗芸能で江戸末期頃から盛んになって多くの流儀があります。昭和44年に市無形民俗文化財に指定されています。(東村山市ホームページより)

Citizen Clock

東村山駅前東口広場 東村山の玄関口です。昭和46年に東村山駅前東口広場として完成しました。出初式や本町さくらまつり、市民納涼の夕べなども行なわれています。(東村山市ホームページより)